仏像の展示について2016年05月01日 20:09

七条の京都国立博物館には時折足を運ぶ。昨日も「ー心をかたちにー禅」を見に行った。
谷口吉生の平成知新館は何度訪れてもシンプルで清々しい気持ちにさせられる。
地味な展覧会なのか、午後も半ば過ぎた時間帯であったのか、観客はそれほど無くゆっくりと見られた。
企画者の熱意と展示工夫が伝わってくる内容だった。
東京ではこのような贅沢な鑑賞はできないだろう、今更ながら関西の地の利を憶えさせられた。

1Fの仏像の常設展示室に降りていつも感じるのだが、仏像が展示されているという違和感を覚えるのだ。
博物館だから展示するのは当たり前のことだが照度の強い照明に晒されている仏像達の表情がなにか違うのです。
ちょっとはにかんでいるような、場違いの場にいるような、お顔をなさっているのです。

学問としての視点と宗教としての仏像と視点は違うと思うのですが、
「展示」という言葉にも何か違和感を覚えるのです。動物園も「展示」といいますね。
他に言葉が無いと思いますが、仏像に対して「展示」という言葉は相応しくないと、
仏像を探求する心は同じだと思いますが、ただ強い照明の下に明からさまにすれば
その本質を追求できるものではないと思います。
仏像は仏教美術でもあり、祈りの対象でもあったそしてあるのですから。
照明でその工夫はできないのだろうか?
なんて考えながら外に出ると白隠さんの大目玉で喝!

長谷川等伯を訪ねてー能登七尾の旅2016年05月08日 22:06

この連休は念願の長谷川等伯を訪ねて能登へ旅した。
日経カルチャーのピンポイントのツアーに参加して、
何よりの収穫は等伯の風土を体感できたこととお寺のお坊さんのレクチャーだった。
エネルギッシュなお坊さんのレクチュアーで安土桃山時代の北陸・七尾の社会背景や仏教・法華経との関わりに開眼させられ等伯の成り立ちへの理解が一度に深まったこと。
当時、七尾は地方ではなかったのだ、そして等伯は決して田舎者ではなかったのだ。
当時は日本海側が物流の動脈で七尾は流通の拠点であり、その良港は関税や使用料で莫大な富が集まるところであったのだ。また日本海と琵琶湖の水路は都との距離は近かったので今思う以上に人の行き来つまり交流があったのだ。
そして富は都人を惹きつけた、という事は都の文化がリアルタイムで入ってきたことなのです。
今も残る等伯の作品の最高の画材から推察できるとのこと、宝石ともいわれる貴石から顔料は作られているから。

昨年の京都の<琳派展>を回った時、法華宗のお寺がいやに多かったことが合点できた。
というのは法華宗は経済の主軸を担う海外貿易流通業者、呉服や絵師、刃剣などの工藝関係者そして文化人が支えていたことであった。勿論等伯も法華宗の信者であった。

このパッションが高雅な香りを放つ「松林図」は近代、いや現代美術といってもよいのではないだろうか?
この筆さばきからは絵師とか宗教から解ぎ放たれた等伯の奥底から魂が伝わってくるから。

注;イメージは東京国立博物館アーカイブより。

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