仏像の展示について2016年05月01日 20:09

七条の京都国立博物館には時折足を運ぶ。昨日も「ー心をかたちにー禅」を見に行った。
谷口吉生の平成知新館は何度訪れてもシンプルで清々しい気持ちにさせられる。
地味な展覧会なのか、午後も半ば過ぎた時間帯であったのか、観客はそれほど無くゆっくりと見られた。
企画者の熱意と展示工夫が伝わってくる内容だった。
東京ではこのような贅沢な鑑賞はできないだろう、今更ながら関西の地の利を憶えさせられた。

1Fの仏像の常設展示室に降りていつも感じるのだが、仏像が展示されているという違和感を覚えるのだ。
博物館だから展示するのは当たり前のことだが照度の強い照明に晒されている仏像達の表情がなにか違うのです。
ちょっとはにかんでいるような、場違いの場にいるような、お顔をなさっているのです。

学問としての視点と宗教としての仏像と視点は違うと思うのですが、
「展示」という言葉にも何か違和感を覚えるのです。動物園も「展示」といいますね。
他に言葉が無いと思いますが、仏像に対して「展示」という言葉は相応しくないと、
仏像を探求する心は同じだと思いますが、ただ強い照明の下に明からさまにすれば
その本質を追求できるものではないと思います。
仏像は仏教美術でもあり、祈りの対象でもあったそしてあるのですから。
照明でその工夫はできないのだろうか?
なんて考えながら外に出ると白隠さんの大目玉で喝!

gutai のキーワード<上山二郎>2016年04月22日 15:34

gutaiの、吉原治良の、源泉を辿るとき<上山二郎>という鉱石に当たります。
もしこの東京生まれの上山二郎が芦屋にこなければ藤田嗣治に繋がらなかったでしょう。
そして藤田との邂逅がなければ吉原の画道は檀さん芸で終わっていたのではないでしょうか?
その意味からも吉原と上山二郎の繋がりは gutai のキーワードだと思います。
上山二郎は画家としての業績は顕著ではありませんが、吉原治良へ与えた国際的視野への影響は計り知れないのです。
国際的な美術界の拠点のパリの藤田嗣治の近くにいた上山からのビビットな美術界の情報は
どれほど若い吉原の画道への開眼に寄与したことだろうか?
ものごとは玉突きのような人の出会いの上に生まれる。
改めて " gutai"の 成立への想いが深まるのです。

わが庵は桃源郷なり その四2016年04月20日 22:54

上前智佑の作品は心を内奥に誘う
吉原治良の丸を潜り 津高和一の円を潜り
その謎はますます深まるばかり
もう久住有生の土間に潜るしかないのだ

わが庵は桃源郷なり その三2016年04月20日 22:53

禅寺の庭か はたまた深山か
かそけく聞こえる水の音に 葉擦れの音に
街中に在ることを忘却させられる

わが庵は桃源郷なり その二2016年04月20日 22:52

伝説の動物<ジャッカル>ー実は兎の剥製に角を付け加えたPixCellーと初期のドローイングは未知に誘う名和晃平ラウンド。
今井祝雄の裸婦のボディと松谷武判のピンクが密やかに色気を放つ。

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