創造は混沌の坩堝から ポール・スミス展2016年06月12日 19:13

私のお気に入りのブランド、ポール・スミスの展覧会を岡崎の京都近美に見に行った。
入るや、ちょっといつも違う雰囲気。
フアッション関係らしき若者が多く来ているからだ、合点!
再現された店舗や仕事場、それに膨大な雑多なコレクションの展示。
映像作品はポールの脳味噌の膨大な集積を再現しているようで興味が尽きず見入ってしまった。
なににも興味を持つ無垢な好奇心、こ彼の尽きない好奇心こそがポールの創作の原点であることが改めて体感させられた。
そして偉大なアーティストであることを実感させられた。

P.S.常設で見た福田平八郎の赤い三匹の鯉のフォルム、その美しさに見惚れてしまった。

辻晉堂「来去任西東」2016年06月29日 18:26

辻晉堂の「来去任西東」は京阪・淀屋橋の開業時に設置された。開業が 1963年だからちょうど50 年になる。
行き交う人々は顧みることなく通り過ぎて行くが、まるで駅の主のように鎮座している。
それは高僧の只管打坐している姿?いえいえ違うなぁ、羅漢さんがサミットしているんだ!
もしこの彫刻が話し出したら喧々囂々と電車や人々の騒音以上に喧しいのでは。
1963年といえば 晉堂さんは53 歳、最も脂の乗りきった時代である。その中でもこの作品は代表作になると思う。
美術館の展覧会に展示して欲しいがこの形態では動かすことができないだろうが、せめてスポットでも当ててもらえないかなぁ。辻晉堂さんは彫刻と陶芸の垣根を壊した戦後美術の立役者ですよ。

<参照>
1910年鳥取県に生まれる。1981年没する。本名汎吉。1931年上京し、32年から33年にかけて独立美術研究所に学ぶ。33年日本美術院展初入選の後、同展に彫刻を出品。1935年美術院研究所に入り、同年の美術院展で受賞、翌年院友に推挙される。1938年得度し、翌年晉堂の名で出品した作品が日本美術院賞を受賞。1941年42年連続して院賞を受賞し同人となる。1949年京都に移り、京都市立美術専門学校、同美術大学、同芸術大学教授を歴任し、堀内正和とともに多くの後進を指導した。1955年から人体の大担な変形を試み、翌年〈寒山拾得〉などの陶彫を発表する。この頃から次第に陶彫への関心を強める一方、抽象的な表現に傾斜し日本の抽象彫刻に独自の地位を占めた。1957年サンパウロ・ビエンナーレ展、1961年ピッツバーグのカーネギー国際美術展など各国の展覧会に出品する他、71年京都国立近代美術館の「近代日本の彫刻」展など我が国の近現代彫刻史をたどる展覧会に出品している。(徳島県立美術館データーより)

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