父・北村富三の展覧会を終えて2014年04月06日 22:45

父・北村富三の展覧会を終えて

念願の父の画集出版記念展を無事終えることが出来た。多くの方にご足労いただいたことに感謝する。
知人友人やゆかりの方の他にたまたまの来廊者もあった。
〜この生命力凄いなぁ!
〜今、このような確かなデッサン力ある絵を見たことない。
〜さすが安井曾太郎の弟子だなぁ!
〜裸婦のデッサンに圧倒される。
思わぬ過大な反響に私は少々戸惑った。知名度も無い過去の埋もれた画家なのに。

衣食住に欠乏した中にあっても、自己の生命の燃え尽きるのを予感しつつも、画堂を追及せざるを得ない人間の業。
その持ち主だからこそ今目にする方々も感動していただけたのだろうか?
今の時代に欠乏している精神の要素を呼び覚ます機縁になったからだろうか?
実際、これほど真っ正面に対峙する画家は少ないと思う、今時は。
それに時代というバックグラウンドが大きく支配していると思う、どの芸術分野もそうだが。

ロンドンから来たとゆうコレクターなど何人からかに所望され嬉しいながらも往生した。
供養の展覧会だからと、いくら画商でも親の絵は売れません!よね。

堀尾さんの エポック 1980〜1985 年2014年04月28日 20:15

BB プラザの 「掘尾貞治・あたりまえのこと 2000-2013 」のカタログが届きさっそくページを繰った。
なるほど、これは堀尾さんの昨今のパフォーマンスのドキュメントだ、面目躍如とする華々しい活動の様子が伝わってくる。

つい先日、一目見てドキッ!とする彼の作品を入手した。なんだか目にしてはいけないような、彼ののマグマの裂け目を見るような想いをさせられのを。
1984 年作とある、堀尾さんのどんな時代だったのだろうか?手元のカタログに詳細な年譜があったので手繰ってみた。
それには毎年なんらかの記録が記載されているが 、'81,'83,'84 は空白なのだ。決して止まることのない堀尾さんが、不思議なことだ。
その前の '80年に名古屋に転勤、仕事が性にあわずノイローゼ気味になり、'85 年は急性白内障の恐怖や仕事のストレスからノイローゼ気味、そして自暴自棄で道頓堀に飛び込んだ、寒い時期なのに。
空白の'81,'83,'84 、この間に彼は一体どのように生きていたのだろうか?
エネルギーは内面ぬ向かっていたのではないだろうか?自己への探求にひたすら使っていたのではないだろうか?
そして、それは今日の華々しいパフォーマンスの原動力となっているのではないだろうか?
この作品はその証としてのエポックを劃したものではないだろうか?

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