上方言葉と白髪一雄2015年11月25日 21:39

ゆんべなあ、、、お母さんがわたしを呼びやはって、
それほんまでっか、云やはるねん。
別にこれちゅう理由あったのではあれしません。
てんと趣味ない方やのんですが、
そやけど何かけったいですねん?
えゝ思いつきやさかい
それよかそらほんまの事でっか?
徳光光子さんやのんです。
教室も違(ちご)てましたよって、
どんな事やかお母さんは知りめえんけどな、
おそうなったよって帰(かい)りまひょ
そいから山降りて
おそなっても別に何とも云やはれへんか?
学生時代に復(かい)ったような気ィするなぁ、
そんなんやったら、ちょっと知らしてくれたらえゝのに。
ついうっかりしてゝ済まなんだけど、
・・・・・・・・・・・・・・・・・
(谷崎潤一郎の「卍」より引用)

谷崎潤一郎の「卍」のペーシを繰るや、これや!と思いましたわ、白髪先生の語り口が。
あのなんともいえん柔らかな話し方、えらいどぎつい話でも聴くものをトロンと包み込んでしまうイントネーション。
一昔前の阪神間のええしの言葉遣いやったのです。
東京に産まれ育ちながら関西に根を下ろし上方文化に造詣の深い谷崎潤一郎、この上方言葉の遣い方はさすがやと思いました。声に出して読みたい本です。
<昨夜ネ、お母さんが私を呼んで>と<ゆんべなあ、、、お母さんがわたしを呼びやはって>とは意味が違うのです。
このニュアンスの違いは関西人しかわからないのではおへんやろか?
白髪先生がようゆうてはりましたわ〜わしの話は東京人にはよう伝わらん〜と。
この上方の言葉の土壌こそ白髪一雄の特質であり作品の真髄を成していると思う。

「猫と庄造と二人のをんな」と安井曾太郎の挿絵2015年11月29日 12:15

このところ谷崎潤一郎ワールドに浸っている。「痴人の愛」「卍」「瘋癲老人日記」「少将滋幹の母」「夢の浮橋」と 読み進み谷崎の耽美の深泥に絡めめ込まれていたところ、次のターゲットの「猫と庄造と二人のをんな」ページを繰った。
そして目を惹かれた。
なんと洗練された挿絵だろう!それは安井曾太郎だった、さすがと納得する。
この本は谷崎には珍しくフランス的なエスプリの効いた洒脱な内容、タイトルも洒落ている。庄造というこんにゃくのような男と個性的な女たちや算盤勘定の老婆を合わせて従え主役を演じる雌猫リリー。
谷崎といえば女性への異常なまでの愛情と観察眼が特色だが、その眼差しが猫リリーに注がれているから描写が凄い。読むほどに惹きこまれていく。改めて谷崎文学の巾の広さを識った。

そうそう何を言いたいかとゆうと、この安井曾太郎がこのワンカットの挿絵で「猫と庄造と二人のをんな」の全てを(ちょっと過言かな?)表現していることの驚きなのだ。この臨場感溢れるデッサン、改めて安井の造形力の凄さに感動させられ
た。谷崎を読んで安井曾太郎に出会うなんて!ちなみに谷崎50才、安井48才のIntersect だった。

あまり日本的を強調するといやらしくなる ドナルド・キーン2015年11月29日 22:22

深夜寝付けぬ儘にテレビを見るというより眺めてましたら、ドナルド・キーンの〜あまり日本的な意識を強調するとイヤラシくなる〜の言葉で眠気がとびましたわ。
ほんまや!この頃どの分野でもえらい日本ブームやけど、なんや安っぽいし安直すぎると思ってました。
日本に産まれたからといって、日本に住んでいるからっといって日本文化を知っているわけではありません。
それに年いっているからゆうてよう知っているわけではありません。
終戦後の怒涛のようなアメリカ文化に洗脳された私達の年代で多くのものが失せました。
今、日本文化にスポットが当たっている時に、こころある若い世代が深く足元を掘り下げてくれはるのでは、、、
そんなこと思いながら下鴨神社・糺ノ森のねきの道を歩きました。
そやそや、この道の先に「潺湲亭(石村亭)」が在るのです。あの戦火の中で「細雪」や「源氏物語」を
書かはったほんまの日本の文化人谷崎潤一郎氏の住まいやったのです。
ドナルド・キーンさんも高く評価してはりましたわ。

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