ミステリアルな ”gutai の華” 今中クミ子2016年04月01日 11:02

〜めまぐるしく変転をつづける現代美術に世界的な潮流の中で、
わが国に発生したオプティカル絵画の今中クミ子は代表的な選手であるといってよい。
1965 年の芦屋市展で私は彼女の応募作にすっかり惚れ込んでしまった。〜吉原治良
〜もう五年もまえになるだろうか、京都のアンデパンダン展の会場で、無名の今中クミ子の作品に、
はじめて接したときにうけた新鮮な感銘を、ぼくは忘れることができない。〜乾由明
とアート界の大ボスを魅了した今中クミ子。
今中は1965年に gutai に参加した第二世代であるが、 1972 年の gutai の解散後消息不明である。
昨今の gutai ブームで忘れ去られていたメンバーが呼び醒されているのに一向に浮上してこない。
年齢からいっても生存している可能性が高いのだが、、、
今中クミ子にとっての 1965~1972 年は消却された8年だったのだろうか?
自己の人生の軌跡の迷い道だったのだろうか?
それともピュアな創作心を全うしたことなのだろうか?
惰性的に制作しているアーティストでにはない潔さだろうか?
いやいや 吉原治良に殉じたgutai の原節子では?
私は初めて入手した彼女の魅力溢れる作品を前に、ますますミステリアスさが深まっていくのです。

<具体美術>を手繰りて2016年04月11日 22:33

物事には何事も機縁因縁があるが具体美術も然りである。
具体美術=吉原治良 
具体美術を追求することは即ち吉原治良を探求することである。
重要なキーワードとして<上山二郎>が浮上してきます。
上山二郎との出会いは吉原の視野をグローバルにしたこと、と
<藤田嗣治>を繋いだことで吉原の画業の根幹をなす重要な機縁です。
そして二科会、九室会、と繋っていくのです。
二科会は近代洋画の柱で日本の美術史を編する画家はここを通過しています。

ふと父・北村富三の師の安井曾太郎が脳裏を過るのです。
何故、安井曾太郎は20 年余も属していた二科会を脱して一水会を創立したのだろうか?
〜彼らは技術の訓練と安価な様式化の排除とによって,高雅な芸術を尊重することを主張した〜記されています。
禅宗の僧のように厳しく自己を律する安井曾太郎は東郷青児や藤田嗣治とは水が合わなかったのではないだろうか?
九室会の前衛作家達とは体質が合わなかったのでは?などなど
私の勝手な推理は蛇行していくのです。

(参照)「二科会」
1915 安井曾太郎 二科会会員になる。
1929  (北村富三「松の大樹」入選)
1933 (北村富三「初夏の水田」入選)
1934 藤田嗣治会員となる。 吉原治良入選。
1936 安井曾太郎 二科会を離脱し一水会を設立する。(北村富三 一水会に出品)
1938 吉原治良 九室会結成。

芸術の役割2016年04月14日 22:13

もともと経済概念の希薄な人間であるが、昨今の<ゼロ金利>には資本主義の危機を、根本的な時代の変化を感じさせられる。そんな時、本屋でたまたま目に入った「資本主義の終焉、その先の世界」。
経済の本なので専門外の私には理解半ばであるが、歴史的な俯瞰に興味を持ち読み進んでいたが水野和夫氏の括りに覚醒させられた。
〜 二十一世紀が「テロの時代」に向かっているとすれば「文明の衝突」をいかに防ぐかが最大の課題です。
その場合、中心に裾えるのは「芸術」だと思います。
なぜなら、思想家の鈴木忠志がいうように、異なる民族の間で共通のコミニュケーションを果たしてきた唯一つのが「芸術」だからです。ますます、人物系の学問を充実することが必要なのです。(「資本主義の終焉、その先の世界」水野和夫より抜粋)

わが庵は桃源郷なり その一2016年04月20日 22:46

〜浮遊する空間〜
杉全直の「隕」でギャラリーは無重力空間になった!
我身の重さを忘れさせる。

わが庵は桃源郷なり その二2016年04月20日 22:52

伝説の動物<ジャッカル>ー実は兎の剥製に角を付け加えたPixCellーと初期のドローイングは未知に誘う名和晃平ラウンド。
今井祝雄の裸婦のボディと松谷武判のピンクが密やかに色気を放つ。

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