「白髪一雄記念室」開設2013年11月07日 11:35

念願の<白髪一雄記念室>が開設され記念式に招かれました。勿論、生地の尼崎文化センターの中です。
一つの部屋はご遺族から寄贈された未公開の古い作品や資料、そしてもう一つの部屋にはアトリエが再現されていました。
世界のビッグアーティストとの記念室としてはギャップのある規模と設備でした、が、ともかく拠点ができたことは嬉しいことです。
白髪先生はなんぼゆうても尼っ子なので喜んでおられると思います。
再現されたロープのアトリエを見てましたら、ようこんなつつましいスペースから宇宙を駆けるようなどえらい大作をギョウサン産み出さはったものや!
と改めて感慨を深めさせられました。
世の傑作は得てしてそうゆうものなのですね、あのジャクソン・ポロックハウスも慎ましくただずんでいました。
フットペインティングの制作映像が流されていましたのでみてましたらうちのギャラリーにお出で下さった時のお姿が目に浮かんできました。
晩年でしたのでおみ足が悪く杖をお持ちでした。杖ゆうても折りたたみ式~アクションペィンターが杖をついていたらイメージが壊れるからと東京のギャラリーに云われますさかいめだたんように~アクションペインターは年経るとシンドイことです。
この度、制作映像をジックリ見てまして改めて足腰にかかる負担の大きさを知る思いがしました。全神経を集めた指先から足の動き、それは膝や腰にどれほど負担をかけることでしょうか?
頭脳と足指を繋ぐ膝と腰の負担はいかほどだったでしょうか?初めて知る思いがしました。
チューブの腹をナイフで切り裂き画面に投げつける大胆さと足指の繊細な動き、この対比こそ Shiraga のフットペインティングの原点だと改めて識りました。
そして、白髪先生と気楽にゆうてますがほんのちょっぴりしか知らへんことがよおわかりました。先生にお出会いに行ける場ができて嬉しいことです。

葵の庭のカリン2013年11月16日 12:36

土曜日、なんと穏やかなお天気だろう。こんな穏やかなお天気は久し振りだ。長かった酷暑や荒々しい昨今、この小春日和の有難さが身に沁みる。
<そうだ!京都に行こう>と、ともかく京阪に乗る。高雄の紅葉が見頃かな、出町柳に着くやその気持ちは一度に失せる。えらい人出だこと、何処でもええやん秋の気配を感じたいだけやと急遽下鴨神社に足を向ける。
やっぱり糺の森は落ち着く、古代にタイムスリップしたような。
賀茂斉院旧跡が公開されていた。こじんまりと建つ三井神社や葵の庭、大炊殿などそこにはシンプルでピュアな気が流れていた。こうゆうこころの素こそ日本人の原点なのだなぁ、自分の心底で共鳴するものが聞こえてくる。河合神社にかの鴨長明の方丈庵が再現されていたがこれも人間の生活するミニマルの極(きわみ)だと憶えた。
カリンが〜どうぞお持ち下さい〜と木下に置かれていたので遠慮なく一番大きなのを戴いた。香りをかいでいると斎王さまの姿が浮かんでくるよう、閑かな時が流れた。

父・北村富三の画集を出版して2013年11月17日 12:39

父・北村富三の画集が出来上がった。業績からしても、内容からしても頗る私的なレベルである。それにも関わらず知人友人から、ギャラリ−など専門筋からも大変 goo! な反響を頂き驚いている。
混乱の時代をかいくぐり、半世紀以上の年月を経て残された作品や資料は僅かである。果たしてこれで画集らしき体裁が整うだろうか?私はそこに一番不安を憶えていた。
微かな情報をたぐり絵の行く末を辿るも持ち主の世代も代わっていて半世紀の時間の長さを実感させられるばかりだった。
画家本人が目にしたら決して納得しないだろう、、が、許してもらおう、遺った作品こそ奇跡と。
画集好評の立役者はなんといってもデザイナーの西村健三さん、何よりも画家に対して興味を持ってくれたことだ。私達肉親以上に作品と画家に愛情を持ってくれたことだ。古いアルバムの写真も緻密な労力をかけて救出してくれた。それが画集に奥行きを持たせてくれたと思う。
この度、北村富三とゆう画家を手繰っていくうちに数知れぬ人の生をかいま見た。人の生の幾重もの重なりや連動を、そして作品の運命を知らしめられた。
この一冊の画集は多くの方々のこころと労力の結晶であること、それに深く敬意と感謝の念を表します。
今、この画集がささやかながら波紋を広げていくのを実感している。

男の慟哭2013年11月24日 11:16

新装の歌舞伎座への念願がこの度の出張で果たせた。昔のままに復元しているので違和感はない。
けれどその背に青空を突いて聳える超高層ビルに暫し息を飲む。
内に入ると最新と細心の工夫が施されていることがよくわかる。
伝統と未来への繫、その間でいかほどの智慧の集積があっただろうかとその重みを知らされる。
出し物は通し狂言「仮名手本忠臣蔵」、年末恒例出しものでキッチュに陥る題目だがら演出が難しいと思う。
だけどその危惧はよそに、ぐぐっと舞台に惹き込まれていった。演出の工夫とセンスによるものだろうか。
四段目<表門城明渡しの場>、花道の大星由良之助役の吉右衛門には降参。
役者の芝居よと間を持って観ていたが、、、吉右衛門の腸から滲みでるような男の慟哭に理性のブレーキの機能は失せてしまった。真の役者とは他人(ひと)の心を操るマジシャンだと思い知らされた。見上げる高層ビルの空はひときわ蒼を深めてた。

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